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自毛植毛の歴史

自毛植毛の概念、考案者は日本人医師

初期の毛髪移植術「パンチ式植毛法」を最初に考案し、自毛植毛の概念を考案したのは、日本人の皮膚科医・奥田庄二医師でした。1939年に「日本皮膚・泌尿器科雑誌」上で「パンチグラフト」の手法を発表し。その4年後に別の日本人医師が、女性の陰部に毛髪を使った移植を成功させたといわれています。これは人間の髪の毛が移植再生できるという、大いなる可能性を示唆したできごとでした。
しかし、このときは傷痕や女性の無毛症などへの施術のみで、男性の薄毛に対しては施術は行われなかったようです。

自毛植毛の概念が考案されたのは1939年の日本

アメリカで進化した毛髪移植

奥田医師の発表から20年、1959年に、ニューヨークに住んでいたノーマン・オレントライヒ博士が「パンチ式植毛法」を用いた施術を皮切りに、アメリカでの植毛技術開発が進んでいきます。しかし、創世記であった当時は、グラフト(移植片)も大きく、1つあたり20〜40本もの毛髪が植えられていたと推測されるところから、見た目の自然さや美しさからは程遠いものだったことが窺われます。

植毛発展期、1970年代以降

フラップ法


1970年代に入ると、パンチグラフトを使用した「パンチ式植毛法」は世界的に広がり80年代の自毛植毛の中心的な方法となりました。しかし、まだまだ大きなグラフトを使用することが多く、自然さには欠けていました。
また、それと共にさまざまな移植法も考案されました。
70年代前半に開発された「フラップ法」は、毛髪の多い側頭部を、一辺だけ頭皮に繋がった状態で切り取り、これを髪の毛の薄い部分に張り合わせる方法です。当時は、フラップの切り出し方などに様々なバリエーションが編み出されました。しかし、血流が行き届かず、フラップが壊死する危険性も持っていました。
70年代後半に考案された「スカルプ・リダクション法」は、髪の薄い部分の頭皮を切り取り、まだ髪のある頭皮の部分を引き上げて薄毛の範囲を小さくするという大胆な方法でした。
そこから派生した「スカルプ・エクスパンダー法」はさらに大胆で、頭皮を引き上げやすくするために、頭蓋骨との間に生理食塩水を注入し、頭皮を伸ばした上で引き上げるという、施術にはかなりの覚悟を要するものでした。

自然な美しさを再現できる技術が開発される
パンチグラフトから飛躍的な進化を遂げた「マイクログラフト」

さまざまな毛髪移植方法が開発された1970年代の半ば、L・リー・ボズレー博士がビバリーヒルズに設立したボズレー・メディカル・インスティチュートでは、当時から「いかに自然に近づけるか」を追及し、その技術を提供していました。そして考案されたのが「マイクログラフト法」です。それまで1グラフトに数10単位の毛包が含まれたものを、現在では世界標準となっている毛包ユニット単位(FU /follicular unit)で切り出し、生え際をより自然に見せることを可能にしたのです。その技術は、植毛技術に革命をもたらしたともいわれ、自毛植毛普及のきっかけに大きく寄与いたしました。
そして現在、最新の医療技術と共に進化した「ボズレー式植毛法」として植毛先進国アメリカでのNo1シェアを確立しています。

L・リー・ボズレー博士




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